大豆・塩について
大豆は「エンレイ」

約2000年前の弥生時代に原産地である中国から朝鮮半島を通じて入ってきたと考えられています。
奈良時代に中国との交流が盛んになってから、仏教とともに味噌や醤油など大豆の加工品や加工方法も伝わってきました。奈良時代に書かれた日本最古の歴史書「古事記」にも「豆」という字が記されています。
大豆の育種も過去には行われており、優良品種の収集や育種を行い、合わせて栽培方法に関する研究も古くから行われていたことが記載されています。
新潟県において、豆類は古くは味噌や枝豆をはじめ打ち豆や豆餅、ずんだ餅など地域的な豆料理や加工品が数多く地域に根付いています。
本県における大豆の品種については昭和43年に長野県農業試験場桔梗ヶ原分場で育成され、県の奨励品種になっている「エンレイ」が圧倒的に多く、県全体の作付面積の96%を占め、富山県と並び主要産地となっています。「エンレイ」は粗タンパク含有量が高いことから醬油、豆腐、味噌用として適しております。
県産醬油復刻プロジェクトの大豆は「エンレイ」を使用しております。
安心な国産の塩

越後の武将上杉謙信は今川と北条両氏が連盟で武田の領地に塩留(塩の移入を止めること)を行ったとき、武田家に塩を送り、『敵に塩を送る』という故事の由来だといわれております。
新潟県では近世において、河崎(佐渡市)、寺泊(長岡市)、糸魚川などで揚浜式塩田という昔ながらの砂浜に海水を汲み掛ける方式の生産が行われておりましたが、十分な需要をまかなうことが出来ず、十州塩(瀬戸内海沿岸)が海路を通じて移入。十州塩は、新潟、直江津、糸魚川に運ばれ、さらに信濃川などを通って内陸部へと運ばれていました。
1948年(昭和23年)から瀬波温泉(村上市)の温泉熱を利用した生産が開始されましたが、1960年(昭和35年)には廃止されました。
現在は村上地域で昔ながらの製法の塩が作られております。
しょうゆの仕込みには大量の塩を必要とします、県産醬油復刻プロジェクトの塩は安定供給の点から新潟県産ではなく、国産の塩を使用しております。